まろにっき。

日記です。つれづれなるままに日を暮らせ。

随分と馬鹿になってしまった。

やあ。暑いわ。エアコンを解禁しました。私は弱い。栗です。

世界がバグっているのを見るのは基本的に栗に実害がないので好きなんですけど、こういう地味な嫌がらせはやめてほしい。静かにスリップダメージ発生させるなら二回行動をするくらいの危害を見せてほしい。

結果として皐月にエアコンをかけた部屋で温かい紅茶を飲むという贅沢を満喫しています。あれ?

何かがおかしいことに気づく前に生きましょう。

 

 

 

 

 

f:id:maron5650:20210509225933j:plain

 

maronikki 2021.05.09

 

 

随分と馬鹿になってしまった。

 

子供の頃はこんなに隙だらけではなかった。

誰にも触れさせてやるものかと、寝ている時さえ気を張っていた。

それが少しずつボロを出して。

今では元の形すら、思い出す気力も無い。

 

随分と薄汚れてしまった。

 

彼と話をしていた頃はこんなに打算的ではなかった。

きっと他者の傷を痛むことができていた。

今は自分の傷にすら、指摘されねば気づけない。

 

随分と遠くなってしまった。

 

影を送っていた頃はあんなにも、手の内に入る確信があった。

月も星も太陽も、すべてが握った拳より小さかった。

今日になって空に手を大きく広げてみても。

あの流される雲すらも、指に掠りもしないのだ。

 

随分と過去ばかり振り返るようになってしまった。

 

未来が無くなっていっているだけか。

 

 

まろにっき。 二〇二一年五月九日

 

 

何だったんでしょうね、子供の頃のあの全能感。

その気になれば本当に何ににでもなれるのが当たり前で、だからこそ無限にある選択肢の前で迷い箸を続けていたあの感覚。

原因はといえば子供に希望を託したかった大人が散々夢を見せつけてきたことにあると分かってはいるんですけど、それにしたってあれは今になって冷静に考えるとヤバい。ヤクでもキメてたんですかね。どうして毎日が楽しくてしょうがなかったんだろう。

 

子供というラベルを剥がされてからも毎日が楽しくてしょうがないよ~って人、いるんでしょうか。いるわけないよな。いたら怖すぎる。でもインスタとかtiktokにわんさかいそう。ソーシャルネットワーキングゴキブリホイホイか? 多分それはTwitterの方です。SNG。サブマシンガンみたいになった。蜂の巣にされてしまう。

 

物体って距離が遠いと小さく見えて、近いと大きく見えるじゃないですか。子供の頃はあまりに自分と遠いところにそれがあったからいくらでも掴める気がしていて、だんだんと本来の大きさを知りつつあるから今こんなにも惨めなんでしょうね。

特別だと思っていたら普通にすらなれなかった。栗の場合は何なら最初から普通じゃなかったですからね。発達障害だったので。

 

昔を振り返れば振り返るほど失ったものしかなくて思考がいくらでもマイナスになりますね。こういうときにお話を書くといい感じになるんですよ。経験上。

創作をする人間は幸福ではない≒幸福だと人間は創作ができない、という論がいつからかネットにありまして。私はあの漫画の一コマみたいにできらぁ! って言いたかったんですけどできませんでしたね。創作をしている人は何かしら不幸な部分があるんだと思います。すべてが不幸ではないと思うけど。

 

いい感じに心が死にたくなってきたのでお話を書きますか、みたいな感じで締めようとしてたんですけど睡魔に追いつかれました。逃げろ。逃げるんだ。いつもの場所で落ち合おう。

無理です。寝ます。今日でした。