まろにっき。

日記です。つれづれなるままに日を暮らせ。

随分と馬鹿になってしまった。

やあ。暑いわ。エアコンを解禁しました。私は弱い。栗です。

世界がバグっているのを見るのは基本的に栗に実害がないので好きなんですけど、こういう地味な嫌がらせはやめてほしい。静かにスリップダメージ発生させるなら二回行動をするくらいの危害を見せてほしい。

結果として皐月にエアコンをかけた部屋で温かい紅茶を飲むという贅沢を満喫しています。あれ?

何かがおかしいことに気づく前に生きましょう。

 

 

 

 

 

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maronikki 2021.05.09

 

 

随分と馬鹿になってしまった。

 

子供の頃はこんなに隙だらけではなかった。

誰にも触れさせてやるものかと、寝ている時さえ気を張っていた。

それが少しずつボロを出して。

今では元の形すら、思い出す気力も無い。

 

随分と薄汚れてしまった。

 

彼と話をしていた頃はこんなに打算的ではなかった。

きっと他者の傷を痛むことができていた。

今は自分の傷にすら、指摘されねば気づけない。

 

随分と遠くなってしまった。

 

影を送っていた頃はあんなにも、手の内に入る確信があった。

月も星も太陽も、すべてが握った拳より小さかった。

今日になって空に手を大きく広げてみても。

あの流される雲すらも、指に掠りもしないのだ。

 

随分と過去ばかり振り返るようになってしまった。

 

未来が無くなっていっているだけか。

 

 

まろにっき。 二〇二一年五月九日

 

 

何だったんでしょうね、子供の頃のあの全能感。

その気になれば本当に何ににでもなれるのが当たり前で、だからこそ無限にある選択肢の前で迷い箸を続けていたあの感覚。

原因はといえば子供に希望を託したかった大人が散々夢を見せつけてきたことにあると分かってはいるんですけど、それにしたってあれは今になって冷静に考えるとヤバい。ヤクでもキメてたんですかね。どうして毎日が楽しくてしょうがなかったんだろう。

 

子供というラベルを剥がされてからも毎日が楽しくてしょうがないよ~って人、いるんでしょうか。いるわけないよな。いたら怖すぎる。でもインスタとかtiktokにわんさかいそう。ソーシャルネットワーキングゴキブリホイホイか? 多分それはTwitterの方です。SNG。サブマシンガンみたいになった。蜂の巣にされてしまう。

 

物体って距離が遠いと小さく見えて、近いと大きく見えるじゃないですか。子供の頃はあまりに自分と遠いところにそれがあったからいくらでも掴める気がしていて、だんだんと本来の大きさを知りつつあるから今こんなにも惨めなんでしょうね。

特別だと思っていたら普通にすらなれなかった。栗の場合は何なら最初から普通じゃなかったですからね。発達障害だったので。

 

昔を振り返れば振り返るほど失ったものしかなくて思考がいくらでもマイナスになりますね。こういうときにお話を書くといい感じになるんですよ。経験上。

創作をする人間は幸福ではない≒幸福だと人間は創作ができない、という論がいつからかネットにありまして。私はあの漫画の一コマみたいにできらぁ! って言いたかったんですけどできませんでしたね。創作をしている人は何かしら不幸な部分があるんだと思います。すべてが不幸ではないと思うけど。

 

いい感じに心が死にたくなってきたのでお話を書きますか、みたいな感じで締めようとしてたんですけど睡魔に追いつかれました。逃げろ。逃げるんだ。いつもの場所で落ち合おう。

無理です。寝ます。今日でした。

守ろうとすること自体、おこがましいことなのかもな。

やあ。梅雨とか言ってたらもう自室に夏が来ました。栗です。

色々あって今リプトンのティーバッグが600弱あるんですけど(この弱は日々ガバガバ消費している数なので具体的にいくつかは分かりません)、この熱さだと1年弱寝かすことを強いられてしまいそうです。

でも色々あってかつては業者並にあった爽健美茶がとうとう底をついたので今や貴重な水分摂取手段なんですよね。ボトルコーヒーも数えられる本数まで来てしまいました。

水を飲めって? なんか味あるもの飲みたいじゃん。

夏を乗り切れそうな在庫がコカコーラゼロしかない。これを水分として生きるか。

そんなことを考えつつぼちぼち生きましょう。

 

 

 

 

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maronikki 2021.05.08

 

 

守ろうとすること自体、おこがましいことなのかもな。

 

僕たちが思うより余程、子供たちは人間で。

考えがあって行動し。

目的があって発言し。

常に成長しようと努力する。

 

導こうとすること自体、分不相応なのかもな。

 

正しいことを求められる立場でないからこそ正しさを求め。

間違いを許容される立場でいるからこそ間違いを許さない。

それは正しく大人を写し取った鏡で。

最も大人としてあるべき姿に他ならない。

 

教わるべきはむしろ、こちらの方なのかもな。

 

敬愛を忘れず。過ちを認め。正しさを学び。

何よりも未来を夢見ている。

これを壊したくないから、身の程も知らずに庇うのだ。

 

彼等が最も忌み嫌うのは、視界が塞がることなのに。

 

 

 

まろにっき。 二〇二一年五月八日

 

 

栗、無職になる前は子供と関わる仕事をしてたんですよ。放課後等デイサービスって言うやつです。

お子さんを放課後から5~6時くらいまでお預かりして家まで送り届けるサービスですね。

僕はもっぱら子供たちのおもちゃにされていたり大真面目にポケモンルイージマンションの攻略情報を交換したりしてて、仕事自体は楽しかったです。永遠に終わらない事務作業と福祉特有の自己犠牲精神サービス残業に殺されたんですけど。

人として生きたいなら今の福祉は止めておいたほうがいいです。あ、バイトならいいかもしれません。事務作業を任されないはずなので。正社員は来世以降に選択肢に入れましょう。

 

話を戻すと週5で子供と接してたんですけど、まあすごいんですよ子供って。

大人よりちゃんと大人が持つべきものを持っている。

おかしいと思うことはおかしいと声を上げますし、納得するまで対話を要求してきます。

僕たちなんかもうめんどいしよく分かんないしどうせ変わらないからいいやって感じじゃないですか。全然そうじゃないんですよ。

 

相手の過失を許すこともそうです。口論が発展して手が出てしまったりだとか、そういうときに加害者を許そうと頑張るんですよね。心は許すものかと憤り続けているんですが、それでも理性が許そうとする。その葛藤が目に見えて分かるんです。

僕たちなんかもう気に入らないやつはボッコボコのメッタメタにするじゃないですか。往年のジャイアンすらもうちょっと前のタイミングで「今日はこのくらいで勘弁してやる」って言うと思う。Twitterをそこそこやってたら1ヶ月に数回は見るでしょう。隙を見せた相手は音がしなくなるまで叩くんですよ。楽器か? ベースを与えたら少しは落ち着くかもしれません。

 

もう大人と子供の違いって純粋に長く生きているから頭の中に入っている経験や知識が多いっていうただそれだけであって、それを抜いてしまったら圧倒的に子供のほうが大人してるんじゃないかって大真面目に感じたんですよ。働いてた当時。

それもあって12月は非常に苦しい月でした。何故かってサンタさんの存在です。家によって子供の中にサンタさんを存在させていたりいなかったり差が激しくて、それが何十人もいるわけですから覚えるのだけで大変でした。うっかり「買ってもらった」なんて言ったら自力で真実に辿り着きますからね。

栗は小学校低学年の頃にさくらももこのエッセイで「私がまだサンタを信じていた頃」みたいなフレーズがあって、そこから逆算して辿り着きました。それでも買ってくれなくなるような事態にはならなかったので幸運だったと思います。友人にいるんですよ、サンタの正体を知った年から25日がただの平日になった奴が。

 

子供は乳幼児からの連続体なので、いつまでも子供扱いしてしまう親御さんが多いのは自然ですし仕方ないと思うんですけど、もうちょっと大人扱いしてもいいんじゃないかなって当時すごく思ってましたね。彼等は対話を求めているのに大人は席を用意してくれないんですよ。もっと話をしましょう。対等な立場で話をしてくれるってだけで子供からの株も上がりますしね。何だこの打算的な汚い大人は。栗です。

 

僕みたいに子供に自分の仕事を助けてもらうような大人にはならない方がいいですが、子供をいつまでも子供として見るよりは気持ち早めに大人として見たほうが双方のためになるんじゃないかな。

そう思った今日でした。

何を言ったって詭弁だ。

やあ。春と夏の境目のような日だと思ったら梅雨という名前が既にありました。栗です。

雨ってどうですか。私は結構好きです。当事者でさえいなければ。

茶店の窓際の席に陣取った時にぽつぽつと降り出したら大吉ですね。

なんもかんも流れてしまわないかなと思いながら眺めています。

こんな日は午後ティー/葵木ゴウさんの「雨を待つ。」という曲がおすすめです。

なんてったって今聴いているのでね。

それでは今日もぼちぼち生きましょう。

 

 

 

 

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maronikki 2021.05.07

 

何を言ったって詭弁だ。

 

あなたは社会に必要ではない。

あなたが死んだってこの世は終わらない。

あなたの命は世界になんの影響も及ぼさない。

 

何を言ったって詭弁だ。

 

だからあなたが、もしそれを望むなら。

私はその時点で既に、すべての言葉を失うのだ。

あの柵を越えてすら、飛び降りたいと言うのなら。

この世にそれを止める理屈は、何ひとつありはしない。

 

何を言ったって詭弁だ。

 

だから感情を叫ぶしか、もう残されていないのだ。

私以外のそれは測りようがないから、私だけのこれを叫ぶのだ。

あなたが死んだら私は泣くぞ。

声を上げて泣くぞ。みっともなく泣くぞ。どうしようもなく泣くぞ。

あなたの死は私の悲哀を生み出すぞ。

それでもあなたは飛び降りるのか。

 

何を言ったって詭弁だ。

 

こんなものに引き止められてたまるものか。

 

 

 

まろにっき。 二〇二一年五月七日

 

自殺を思い立ち、今まさに実行に移さんとしている人を、誰が止められましょう。

よく耳にするフレーズはこんな感じですよね。

「悲しむ人がいる」とか。

「死んでいい命なんかない」とか。

或いは、「死にたいと言う人間はただ構ってほしいだけだ」。

 

そんなわけないじゃないですか。

 

人ひとり死んでどうにかなってしまうような世界ならもうとっくに滅んでいるんです。

そんな致命的な欠陥を抱えた世界であってはいけないんです。

あなたが死んだところでうんともすんとも言わないような世界でなきゃダメなんです。

私が死んだところで平然と続くような世界じゃなきゃ困るんです。

その人が死んではいけない正当な理由なんて、この世にひとつもあってはいけないんです。世界が終わってしまうので。

 

死んじゃいけない命なんて無いんです。

どうあがいたって寿命が設定されている生き物なので、現状は死ななきゃ困るんです。

適度に減ってくれなきゃ増える一方ですから。

一人あたり一坪くらいしか土地の割り当てがない地球、嫌じゃないですか? レッツDIY

 

理屈で止められないなら、もう感情しか無いんですよ。

あなたが死んではいけない理由なんて何ひとつ無いけれど、頼むから生きてくれ。

そんな馬鹿げたことを言うしか手段が残されていないんです。

あなたが自殺を実行しようとしている、その時点で、既に。

だから止めるには、そもそもあなたが自殺を実行しない、念慮か企図の段階で介入する必要があるんです。あったんです。

屋上に登って柵を越えてしまった時点で私としては詰みなんです。

 

感情で止めればいいじゃないか。

そう思うかも知れません。そうできたらどんなにいいかと思います。

でも、それこそ本当に、間違ってもあってはいけない現象なんです。

 

人の感情が他人に影響を及ぼしてはいけないんです。

私の感情に操作されるようなあなたであってはいけないんです。

そんなものは暴君です。独裁者です。

踏み入ってはいけない権利を有してしまっているんです。

 

あなたが何をするかはあなたに決定権がなくてはいけません。

私があなたの行動を制限するような事態が、万に一つもあってはいけません。

私の感情とあなたの行動は決して混ざり合ってはいけないんです。

 

だから、もしあなたが死のうとして、私がそれに気づいたとき。

私はきっと声を上げて泣きます。

嫌だ嫌だと泣きじゃくり、どうか止めてくれと縋りつきます。

あなたを説得できるような理屈を、何も持ち合わせないままに。

 

その時は、どうか惑わされないでください。

そう思った今日でした。

何も変わらないのさえ困難で、常に行動を強いられる。

やあ。初めまして栗です。

普段Twitterに上げたり上げなかったりしている日記の日本語訳を書いていこうと思います。

毎回書けるわけではないと思う。気力的に。

全国√3人のまろにっきファンはワクワクして待ってくれよな!

 

 

 

 

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maronikki 2021.05.06

 

何も変わらないのさえ困難で、常に行動を強いられる。

 

背後から何かが迫ってくると、口を揃えて皆が言う。
それが何かも分からないのに、逃げなければと皆が言う。
そして後ろを振り返れば、確かに何かが近づいているから。
ただここにいたいだけなのに、立ち上がり歩かなければならないのだ。

 

私のままでいるのさえ険しくて、少し間違えれば変わってしまう。

 

ここまでくれば大丈夫かと、腰を下ろして息をつく。
そうして再び振り返れば、もう歩かねばならない時がきている。
座り立ち座るのを繰り返すくらいならと、止まらずに歩き続けた。
こんなことを死ぬまで続けるのか。

 

いっそ飛び込んでやろうかとすら考える。

 

ぴたりと背後に張り付いて、いつまでも離れないこれを。
振り返り膝をつき抱き締めてやったとしたら、私は一体どうなるのだろうか。
すぐに死ぬことはない、それは分かっている。
二度と立ち上がれないかもしれない、それがまだ分からない。
これは濃霧のように不透明で、だからこそ端はまだ。
息をしていられるくらいには薄いのだ。

 

振り返り、膝を折り、抱き締める。

 

小さな子供の感触がした。

 

 

 

まろにっき。 二〇二一年五月六日

 

どうして現状維持は許されないんでしょうね。

いや許されるはずがないんですけど。

世の人が働かなければ社会は自転を止めてしまうので。

それでも理不尽を覚えるのは私だけでしょうか。

 

勉強をしなければテストで赤点を取って留年します。

働かなければ金が無くなって死にます。

私はただ、布団の中で何もしていたくないだけなのに。

それを続けているだけで、どんどん取り返しがつかなくなっていくわけです。

 

どうして?

 

働かざるもの食うべからずだからです。

それくらいは流石の私も理解しています。

そもそも人間は明日の食事すらままならない時代がすぐそこにあったわけでして。

こうやって堕落を怠惰に求めること自体が贅沢な遊びと言えるでしょう。

 

それでもなんか、なんかこう、理不尽じゃないですか?

だって何もしていないんですよ。何の行動もしていない。

なのに現実は強制スクロールのように迫ってくるからジャンプしなきゃ潰されて死ぬんです。

嫌だと言って素直に潰されたらひいこら言って手に入れた1upがあっさりと消えます。

本当にあっさりと消えていきます。

パチスロを1回でもやったことがあれば想像しやすいと思うんですけど、筐体の横に札を入れる場所あるじゃないですか。あれ本当にスッ……と音も無く諭吉を攫って返しちゃくれないじゃないですか。あれくらい簡単に消えます。

消えすぎてこのままでは冬を越せません。これがキリギリスです。

一時期Twitterで弾き語りのようなものを上げていたから本当にキリギリスかもしれん。

 

我々、幼少の頃より散々脅されてきたじゃないですか。

今からちゃんとしていなければ将来になってとんでもない詰み方をするぞ、みたいな。

そういう強迫観念じみたものがめちゃくちゃあったのはみんな同じだと思っています。

だから大人の言うことを聞いて生きていくわけです。だって相手は大人ですからね。

ゲームだってその面をクリアした人がアドバイスしていたら聞くでしょう。

それが強制スクロールなら尚更のことだと思います。

 

でも、それで実際に順調にクリアできた人って結構稀なんじゃないかと最近よく感じるんですよね。

僕の周囲の人間はそろそろ所謂「社会に出る」と呼ばれているイベントに立ち合っているんですが、つつがなくステージクリアして次面に行けている人の方が少ないです。

うつ病になったり残業に殺されたり就職できなかったり恋人と別れたり、十人十色な理由で全く順風満帆ではありません。これが異口同音です。違う。

それでもちゃんと生きています。

これはとても幸福なことで、こればかりは神様と俗に言われる何かに大真面目に感謝しています。生きてるんですよね、みんな。

うつ病になった人も残業に殺されてる人も就職できなかった人も恋人と別れた人も、今のところ全員生きています。

 

あれ?

 

在りし日の親の言葉と違うじゃないか。

私を含めステージクリアできていない人間は、それでもまだ生きてます。

向こうから連絡が来ることもありますし、顔を合わせることもありますし、一緒にご飯を食べたり映画を見たり近況報告をし合ったりもします。

別に左画面と壁に押し潰されたところで、1upを失うほどの損失はしていないように思うんです。

じゃあ、四六時中休むことなく私達を追い立てるこの左画面の正体は何なのでしょう。

どうやらミキサーや超大型ファンの類ではないようですが、なら何なのか。

 

あの頃の私自身なんじゃないか、と思うんです。

親や先生や環境に散々脅されて、左画面に触れることに怯え切ったあの頃の私です。

きっと彼等も、私の将来の幸せを思って植え付けた恐怖なのでしょうけれど。

左画面の隣人になってしまった今、この恐ろしさはバグでしかありません。

必要以上に怖がってしまうんです。

確かに触れたまま、画面の向こうに呑み込まれてしまっては死ぬしかないですが。

それでも触れるくらいなら、なんてことはない。全然大丈夫です。大丈夫でした。

 

それなら最初にするべきは、あの頃の私の頭を撫でてやることなのかな。

そう思った今日でした。