まろにっき。

日記です。つれづれなるままに日を暮らせ。

何も変わらないのさえ困難で、常に行動を強いられる。

やあ。初めまして栗です。

普段Twitterに上げたり上げなかったりしている日記の日本語訳を書いていこうと思います。

毎回書けるわけではないと思う。気力的に。

全国√3人のまろにっきファンはワクワクして待ってくれよな!

 

 

 

 

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maronikki 2021.05.06

 

何も変わらないのさえ困難で、常に行動を強いられる。

 

背後から何かが迫ってくると、口を揃えて皆が言う。
それが何かも分からないのに、逃げなければと皆が言う。
そして後ろを振り返れば、確かに何かが近づいているから。
ただここにいたいだけなのに、立ち上がり歩かなければならないのだ。

 

私のままでいるのさえ険しくて、少し間違えれば変わってしまう。

 

ここまでくれば大丈夫かと、腰を下ろして息をつく。
そうして再び振り返れば、もう歩かねばならない時がきている。
座り立ち座るのを繰り返すくらいならと、止まらずに歩き続けた。
こんなことを死ぬまで続けるのか。

 

いっそ飛び込んでやろうかとすら考える。

 

ぴたりと背後に張り付いて、いつまでも離れないこれを。
振り返り膝をつき抱き締めてやったとしたら、私は一体どうなるのだろうか。
すぐに死ぬことはない、それは分かっている。
二度と立ち上がれないかもしれない、それがまだ分からない。
これは濃霧のように不透明で、だからこそ端はまだ。
息をしていられるくらいには薄いのだ。

 

振り返り、膝を折り、抱き締める。

 

小さな子供の感触がした。

 

 

 

まろにっき。 二〇二一年五月六日

 

どうして現状維持は許されないんでしょうね。

いや許されるはずがないんですけど。

世の人が働かなければ社会は自転を止めてしまうので。

それでも理不尽を覚えるのは私だけでしょうか。

 

勉強をしなければテストで赤点を取って留年します。

働かなければ金が無くなって死にます。

私はただ、布団の中で何もしていたくないだけなのに。

それを続けているだけで、どんどん取り返しがつかなくなっていくわけです。

 

どうして?

 

働かざるもの食うべからずだからです。

それくらいは流石の私も理解しています。

そもそも人間は明日の食事すらままならない時代がすぐそこにあったわけでして。

こうやって堕落を怠惰に求めること自体が贅沢な遊びと言えるでしょう。

 

それでもなんか、なんかこう、理不尽じゃないですか?

だって何もしていないんですよ。何の行動もしていない。

なのに現実は強制スクロールのように迫ってくるからジャンプしなきゃ潰されて死ぬんです。

嫌だと言って素直に潰されたらひいこら言って手に入れた1upがあっさりと消えます。

本当にあっさりと消えていきます。

パチスロを1回でもやったことがあれば想像しやすいと思うんですけど、筐体の横に札を入れる場所あるじゃないですか。あれ本当にスッ……と音も無く諭吉を攫って返しちゃくれないじゃないですか。あれくらい簡単に消えます。

消えすぎてこのままでは冬を越せません。これがキリギリスです。

一時期Twitterで弾き語りのようなものを上げていたから本当にキリギリスかもしれん。

 

我々、幼少の頃より散々脅されてきたじゃないですか。

今からちゃんとしていなければ将来になってとんでもない詰み方をするぞ、みたいな。

そういう強迫観念じみたものがめちゃくちゃあったのはみんな同じだと思っています。

だから大人の言うことを聞いて生きていくわけです。だって相手は大人ですからね。

ゲームだってその面をクリアした人がアドバイスしていたら聞くでしょう。

それが強制スクロールなら尚更のことだと思います。

 

でも、それで実際に順調にクリアできた人って結構稀なんじゃないかと最近よく感じるんですよね。

僕の周囲の人間はそろそろ所謂「社会に出る」と呼ばれているイベントに立ち合っているんですが、つつがなくステージクリアして次面に行けている人の方が少ないです。

うつ病になったり残業に殺されたり就職できなかったり恋人と別れたり、十人十色な理由で全く順風満帆ではありません。これが異口同音です。違う。

それでもちゃんと生きています。

これはとても幸福なことで、こればかりは神様と俗に言われる何かに大真面目に感謝しています。生きてるんですよね、みんな。

うつ病になった人も残業に殺されてる人も就職できなかった人も恋人と別れた人も、今のところ全員生きています。

 

あれ?

 

在りし日の親の言葉と違うじゃないか。

私を含めステージクリアできていない人間は、それでもまだ生きてます。

向こうから連絡が来ることもありますし、顔を合わせることもありますし、一緒にご飯を食べたり映画を見たり近況報告をし合ったりもします。

別に左画面と壁に押し潰されたところで、1upを失うほどの損失はしていないように思うんです。

じゃあ、四六時中休むことなく私達を追い立てるこの左画面の正体は何なのでしょう。

どうやらミキサーや超大型ファンの類ではないようですが、なら何なのか。

 

あの頃の私自身なんじゃないか、と思うんです。

親や先生や環境に散々脅されて、左画面に触れることに怯え切ったあの頃の私です。

きっと彼等も、私の将来の幸せを思って植え付けた恐怖なのでしょうけれど。

左画面の隣人になってしまった今、この恐ろしさはバグでしかありません。

必要以上に怖がってしまうんです。

確かに触れたまま、画面の向こうに呑み込まれてしまっては死ぬしかないですが。

それでも触れるくらいなら、なんてことはない。全然大丈夫です。大丈夫でした。

 

それなら最初にするべきは、あの頃の私の頭を撫でてやることなのかな。

そう思った今日でした。